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ベルーフのネットワーク

 ベルーフが最も密接な連携をしているのはベルリンのFAFです。ソーシャルファーム設立の支援機関です。Integratrion Firmen略称IFはドイツ語のソーシャルファームの事です。FAFは1993年にフロイデンベルグ財団の援助で始まっています。Peter Stadlerと精神医学者のZaifertとPlogがバックシュテルン事務所に集まったのが濫觴である。と後のBag-IF代表者のSchwendyが歴史記録を残しています。紆余曲折を経て,StadlerはFAFを設立してIF設立のセミナーと組織化を行い、20年で800社を越えるIFとBAG₋IFを作っています。BAG₋IFは800社の全国共同組織で、年次会議を開催して相互連携を行っています。経営と業務連携も行っていますが詳細は未だ掴めていません。FAFは旧東ベルリンで現在はベルリンの中心街のKommandaten通りのビルに本拠を置いています。他にドイツ各地に4拠点の展開をしています。ベルリン事務所は建物の4Fです。3Fは緑の党の本部で、幸運にも間違って入り込んだ事が有ります。FAFのフロアーは創設以来のグループの拠点で、FAFとBAG-IFとレーベンスベルテンの本部事務局が置かれています。事務局はSchbertvergerとSimoneの2人が束ねています。腕っ利きの事務方で整然とした事務スペースで多様な事務業務を捌いています。何を頼んでもあっと云う間に何無く捌きます。ドイツ人の事務能力の桁外れの質と量とスピードには感嘆の極みです。彼らに因ってベルーフの進む道を掴む事が出来たと云っても過言では有りません。特にBerlin Hamburg Koeln Chemnitzでの視察研究では支援して貰いました。彼らのやり方は「どこそこへ行ってこうしますか」と提案が有り、検討し了解すると段取りをしてくれます。全てはこちらの判断の基に進めてくれます。対等な連携とは自主的判断である、と実感しています。FAFではStadlerが色々と作戦とお膳立てを教えてくれました。自分が行ってきた道づくりを伝授してくれたのです。まず現場を具に視察し経営者実務者に話を聴き本質を理解です。これは全く同じでした。文化や習慣は違いますが事業と経営の本質は変わりませんでした。共通認識はドラッカーのマネジメントだったのは当然でした。この机を人財教育社のオフィスとして使ってもいいです、と最恵の扱いをしてくれた事は生涯忘れる事は有りません。ここからヨーロッパ中を駆け回ることに成りました。    播磨守

ヨーロッパのネットワーク

 ベルーフはヨーロッパの障害者就労支援機関CEFECのメンバーです。2010年ケンブリッジ会議でサポートメンバーとして承認を受けています。ヨーロッパ発祥のNGO機関ではありますが地域制約は全く有りません。障害者就労に関わっており理念と活動が正当であればメンバー参加を承認してくれます。ベルーフの後、日本からは2団体がメンバー参加をしています。インスブルックのScharoff前事務局長が後押しをしてくれました。Scharoffとはその前のプラハ会議で意気投合しました。メンバーと成ってからは一気に各国のメンバーとの繋がりが深まりました。ドイツのSchtorkはマインツの活動の視察を支援してくれ、ホテル事業レストラン事業ケイタリング事業を具に見る事が出来ました。北イタリアのRorenzoはメラーノ会議への参加を段取ってくれました。ルーマニアのGavickはスチャーバ会議で登壇の機会を作ってくれて、初めてCEFECで日本事情のプレゼンテーションをする事が出来ました。ギリシャのMariaもコルフ会議での登壇発表をセッティングしてくれました。いずれ東京会議を実施しようとの声まで上がりました。CEFECメンバーは支援が世界に拡がる事に吝かでは有りません。理念が正当であればフラットなスクラムを組む事ができます。2020年と2021年はリモート会議と成り期せずして参加する事が出来ました。現在もトリエステ、スェーデンとあっちこっちのメンバーと連帯を拡げています。CEFECへの参加はルーマニアの事務局を通じて出来ます。Alinaというウクライナ大学で学んだ才媛が事務局員で万事スムースに段取ってくれます。地理上は8000kmの彼方ですが、文字通りネットワークで距離と時間差は全く無く連携交流が可能です。2022年はリトアニア会議が開催されています。皆さんにも直接参加をお奨めします。播磨守