ソーシャルファーム Dalk

ソーシャルファームは,誰が名付けてどこで始まったのか、イギリスでと云われているがはっきり分かりません。しかし,ドイツでどう始まったかはデルナー先生から具に聴きました。居住医療で,患者が次々に退院し街中で暮らす中で出て来た要望が仕事をしたいである。自分は何も解ってはいなかった,とデルナー先生は衝撃を受けている。人生は,生活と仕事と遊びである。生活のみの追及は,本質から外れていたのである。ギューテルスローには,1981年にランドヴェールとシモンの2人によって障害者が仕事をする場所が小規模に作られていた。デルナー先生は,そこを障害者が仕事をする事業所として整え発展させている。それがDalkである。Dalkはギューテルスローを流れる川の名前からの命名である。仕事はMieleの機械パーツの作成である。Mieleは全自動洗濯機でドイツを代表する機械の一つである。100キロを超す重量でびくともせず洗濯をする。ドイツの下宿生活で自分も使ったが手間が掛からずに清潔な洗濯に仕上がる。驚異的に静かな洗濯機である。そのパーツ作成であるから業務は精密を極める作業でプロの仕事である。ランドヴェールが、その仕事を如何に段取って習熟していったかを証言している。デルナー先生は診察よりも患者の住居探しと就労支援の方が忙しかった、と医者らしからぬ事をいっている。Dalkはドイツに於けるソーシャルファームの最初を担う事と成った。未だソーシャルファームと云う言葉も認識も無かったが,障害者と非障害者が協働する場所が創設されたのである。2010年に訪問した時は,生憎く休みで外観しか視察できなかったが現在も事業所として機能し発展している。その後ドイツで数々のソーシャルファームを視察したが、どこもDalkが原型であるとは私の思い込みかも知れない。もうすぐ1000を超えるソーシャルファームが,ドイツ中に広がっている。播磨守

デルナー博士との邂逅

 Klaus Doernerはハンブルグ大学医学部の精神医学者である。精神医療の改革者としてドイツでは著名である。Frickenhausの紹介でハンブルグのNissen通りの自宅を訪問し障害者就労の取組みを話すと忽ちスクラムを組んでくれている。デルナー先生がどういう人か全く知らなかったが、これを機会に障害者就労の本質を根本的に悟る事に成った。最初に先生は入院治療から居住治療への転換を教えてくれている。これは40年に亘って先生が取り組んで来た改革である。精神病院から入院ベッドを廃止し、患者が地域で働き生活をする人生に変えるのである。ドイツ中部のギューテルスローの精神病院長として400人の患者を退院させ市街に居住させている。ギューテルスローの奇跡としてモニュメントに成っている。精神病患者が長期間の入院生活を送ると云うのが当たり前の治療を根本的に変えるのは至難である。入院で患者を社会から隔離するというのは万国共通で、現代でも云わば当然の医療とされているが、1980年代からこれを居住医療に変える試行を行って来たのである。デルナー先生は数々の著作で、その原則と実践と成果を著している。私は先生から差しでその改革の教えを受けるに至った。障害者就労とは精神医療の改革を隗として始める事で有った。入院治療の根本的否定にぶつかりその本質的意味が解ったのである。デルナー先生は次々に認識と道を解らせてくれている。私は六十有余で新たな師を得る事と成ったのである。ハンブルグのNissen通りは私の大学である。播磨守

ドレスデンの就労支援

 2009年9月にCEFECのプラハ会議にベルリンから向う途上でドレスデンに降りた。ソーシャルファームを視察する為である。何の伝手も無かったので市役所に行って、紹介の労を頼むと市長の補佐官が事情を聞いてくれ、ドレスデンにソーシャルファームは無いが市が支援している障害者就労の施設があるとcultusを紹介してくれた。そこで巡り会ったのがFrickenhausである。ドイツ人の大男である。会って5分で意気投合した。cultusはAltleubenに有り居住施設、就労訓練宿泊施設、ケータリングそして劇場を持つ福祉事業団体である。教会に隣接した敷地にこれらの施設が散在している。200年前の建物もあるので相当古い時代から続いている事業団体である。劇場事業が特異である。オペラミュージカルの上演を行って仕事と収益源にしており、ヨーロッパでの障害者就労でお目に掛ったのはここだけである。福祉で劇場運営は余りの異化に驚いた。翌年再訪してフンパーディンクのオズの魔法使いの上演を見たが、一流で素晴らしい内容である。劇場事業も視野に入った。居住施設の責任者はFrickenhaus夫人で宿泊の融通を利かせてくれている。翌朝8時から200人分のケータリングの準備を視察している。チーフ以下6名のスタッフが調理を行っており、克明に観察する事が出来た。障害者と非障害者の合同チームである。皆プロの腕前で合理的な仕事振りが驚異的であった。半日いる間に休憩のお茶を共にする仲間に成る事が出来、調理場の母は懇切に段取りを教えてくれたものである。ソーシャルファームでは無いが同等以上の障害者就労である。Frickenhausは東ドイツの頃に西側からやって来てこれらの事業運営を担当して来たとの事である。彼はドイツの障害者就労ならDoerner博士に会った方がいいとして、その場でハンブルクのドクターに電話してアポイントを取ってくれている。このアポイントは値千金で、後々のベルーフの誕生の命運を左右するものと成っている。その後cultusには都合3回の訪問を重ねて旧東側の障害者就労の実態を知る事と成った。 播磨守

山上のソーシャルファーム

 Albertが案内してくれたソーシャルファームは山上である。ロープウェイ乗り場で待っていると自転車で校長先生がやってきた。皆でロープウェイに乗って着いたのはMontessori学校である。私学校として設立し志のある教師と職員で運営されている。Montessoriの教育の実践が行われている。6歳位から15歳位の少年少女が学んでいる。教科書は無い。自分が学びたい事を学ぶのである。数学を学ぶ、電気を学ぶ、馬を飼育する、当日目にした学びである。電気は回路の設計組立とそれによって作られた施設模型が進行中であった。技術の専門家が指導に付いている。少年が自主的に進めており、専門家はアドバイザーとして支援している。先生と生徒と云う主従の関係では無いのが印象的であった。自主勉強が終わると全員が集合し車座に成って今日は何を学んだか一人づつ発表し質疑応答が行われている。遠来の我々にも興味を示し、日本語を話してとリクエストが有り、会話をやって見せている。卒業後は上級学校への進学率が高いとの事である。教育とは何か、余りの原則の違いに驚いたものである。ベルーフはMontessori教育にも学んでいる。山上には高級レストランがあり豪華な昼食をご馳走に成っている。支払いを訊いたら、友達じゃないか、とAlbertは微笑んでいる。事務所に戻って、北イタリアソーシャルファーム連盟の事業の詳細を教えて貰い、イタリアの障害者就労に関する立法を教えて貰った。障害者就労を社会システムにする事を学んでいる。Arbertとは以来、誕生日の祝福を交わす相手と成っている。播磨守

北イタリアの視察

BorzanoはBozenと云うドイツ名も持つ北イタリアの中位の規模の都市である。ブレンナー峠を越えてインスブルックに繋がっている古来からの要路にある。CEFECのコルフ会議で登壇したイタリアのJulliaの事業プレゼンテーションに惹かれて視察を申し込むと了承である。遥々アルプスの麓まで行った。Albertはソーシャルファーム連盟の代表者で議会の議員である。この連盟は総額200億の事業規模である。スチャーバ会議で懇意に成った人である。Julliaもこの連盟の役員でたちまち繋がりが結びついている。Julliaの公園管理事業を視察する事が出来た。市内を貫く川筋の河原が公園として整備されており、その維持管理が業務である。広い地域の造園を腕の好い職人達に依って担われている。つぶさに仕事の内容のプレゼンと現場を視察し、障害者と非障害者がスクラムを組んでプロの業務を運営する実態を見る事が出来た。目下新規事業の準備中と云う施設の造営現場も覗かせてくれた。事業拡大への積極取組み姿勢をアピールしてくれたのである。どういう事業取組みをするか、という当方の問題意識に応えるものである。何をしにきたか、判ってくれている視察案内であった。終わったら連盟本部事務所に行き、Albertが次の視察を用意していた。翌日の段取りを事務局のMargaletと打ち合わせて解散した。イタリアの陽は未だ明るく街中を散策しパン屋と肉屋と魚屋で食材を誂えたが実に豊富である。魚屋は山中ではあったがイタリアが海に囲まれているのを彷彿とさせる品揃えであった。ホテルが事務所の裏手に有り連盟のネットワークでインターネットを使う事が出来た。電波が届いて通信方法のイノベーションを実感している。 播磨守

ドイツの専門職

 ドイツでは職業が商工会議所によって区分されています。職種分野は23区分有り、各分野の中で職種が細かく分けられています。その上で各職種の資格要件と教育期間の条件が定められています。この条件を満たして商工会議所の資格認定を得ると専門職として認められ、職業に就くことができます。職業資格が公的な基準に成っています。凡そ400の仕事が職業として区分され専門職Berufとされています。2年から3年以上の職業教育を経てその資格を得る事が職業に就く出発に成ります。レーベンスベルテンは7つの事業分野を展開しているベルリンのソーシャルファームです。ドイツではソーシャルファームはIntegration Firmen 略してIFと称しています。イベントケータリングは飲食分野から発展したレーベンスベルテンの基幹事業です。モアビット地区にレストラン拠点が有り視察しました。折しも職業教育に就いたばかりの女性の現場でした。始めたばかりですが料理人の専門職を目指す人です。材料を捌く訓練に取組んでいます。タマネギを切る訓練です。親方の指導とマネジャーのチェックが付いていて、厳しいトレーニングが行われていました。2年後彼女は商工会議所の認定を受けて調理師として専門職に就いています。専門職とは何か、はドイツのIFでつぶさに見る事ができこの基準を学んで専門職としたのが就労移行支援事業所ベルーフです。 播磨守

ベルーフのネットワーク

 ベルーフが最も密接な連携をしているのはベルリンのFAFです。ソーシャルファーム設立の支援機関です。Integratrion Firmen略称IFはドイツ語のソーシャルファームの事です。FAFは1993年にフロイデンベルグ財団の援助で始まっています。Peter Stadlerと精神医学者のZaifertとPlogがバックシュテルン事務所に集まったのが濫觴である。と後のBag-IF代表者のSchwendyが歴史記録を残しています。紆余曲折を経て,StadlerはFAFを設立してIF設立のセミナーと組織化を行い、20年で800社を越えるIFとBAG₋IFを作っています。BAG₋IFは800社の全国共同組織で、年次会議を開催して相互連携を行っています。経営と業務連携も行っていますが詳細は未だ掴めていません。FAFは旧東ベルリンで現在はベルリンの中心街のKommandaten通りのビルに本拠を置いています。他にドイツ各地に4拠点の展開をしています。ベルリン事務所は建物の4Fです。3Fは緑の党の本部で、幸運にも間違って入り込んだ事が有ります。FAFのフロアーは創設以来のグループの拠点で、FAFとBAG-IFとレーベンスベルテンの本部事務局が置かれています。事務局はSchbertvergerとSimoneの2人が束ねています。腕っ利きの事務方で整然とした事務スペースで多様な事務業務を捌いています。何を頼んでもあっと云う間に何無く捌きます。ドイツ人の事務能力の桁外れの質と量とスピードには感嘆の極みです。彼らに因ってベルーフの進む道を掴む事が出来たと云っても過言では有りません。特にBerlin Hamburg Koeln Chemnitzでの視察研究では支援して貰いました。彼らのやり方は「どこそこへ行ってこうしますか」と提案が有り、検討し了解すると段取りをしてくれます。全てはこちらの判断の基に進めてくれます。対等な連携とは自主的判断である、と実感しています。FAFではStadlerが色々と作戦とお膳立てを教えてくれました。自分が行ってきた道づくりを伝授してくれたのです。まず現場を具に視察し経営者実務者に話を聴き本質を理解です。これは全く同じでした。文化や習慣は違いますが事業と経営の本質は変わりませんでした。共通認識はドラッカーのマネジメントだったのは当然でした。この机を人財教育社のオフィスとして使ってもいいです、と最恵の扱いをしてくれた事は生涯忘れる事は有りません。ここからヨーロッパ中を駆け回ることに成りました。    播磨守

ヨーロッパのネットワーク

 ベルーフはヨーロッパの障害者就労支援機関CEFECのメンバーです。2010年ケンブリッジ会議でサポートメンバーとして承認を受けています。ヨーロッパ発祥のNGO機関ではありますが地域制約は全く有りません。障害者就労に関わっており理念と活動が正当であればメンバー参加を承認してくれます。ベルーフの後、日本からは2団体がメンバー参加をしています。インスブルックのScharoff前事務局長が後押しをしてくれました。Scharoffとはその前のプラハ会議で意気投合しました。メンバーと成ってからは一気に各国のメンバーとの繋がりが深まりました。ドイツのSchtorkはマインツの活動の視察を支援してくれ、ホテル事業レストラン事業ケイタリング事業を具に見る事が出来ました。北イタリアのRorenzoはメラーノ会議への参加を段取ってくれました。ルーマニアのGavickはスチャーバ会議で登壇の機会を作ってくれて、初めてCEFECで日本事情のプレゼンテーションをする事が出来ました。ギリシャのMariaもコルフ会議での登壇発表をセッティングしてくれました。いずれ東京会議を実施しようとの声まで上がりました。CEFECメンバーは支援が世界に拡がる事に吝かでは有りません。理念が正当であればフラットなスクラムを組む事ができます。2020年と2021年はリモート会議と成り期せずして参加する事が出来ました。現在もトリエステ、スェーデンとあっちこっちのメンバーと連帯を拡げています。CEFECへの参加はルーマニアの事務局を通じて出来ます。Alinaというウクライナ大学で学んだ才媛が事務局員で万事スムースに段取ってくれます。地理上は8000kmの彼方ですが、文字通りネットワークで距離と時間差は全く無く連携交流が可能です。2022年はリトアニア会議が開催されています。皆さんにも直接参加をお奨めします。播磨守

大坂選手の片づけ

 テニスの大坂なおみ選手の試合で、休憩中の立振る舞いに目が行きました。水分を取っていますが、そのボトルの始末の段取りが注目でした。休憩が終わると、飲み掛けのボトルはクーラーに丁寧にしまいます。飲み干して空になったボトルは、ダストボックスを足踏みペダルで開けて丁寧に捨てます。試合終了後では、未だ少し残っているボトルが2本有りましたが、捨てる前にどちらもきちんと飲み干して捨てていました。後片付けが、体の習慣になっている動きです。この段取りの良さは、試合運びの良さに通じ、鋭いプレーに通じます。片付け方にも強さが現れるものです。ベルーフでは、仕事の質を上げるために整理整頓の徹底を図っていますが、大坂選手は期せずしてお手本を見せてくれています。 播磨守

5年間の積重ねで目的へ到達

学さんはベルーフの一期生です。2015年3月から利用を初めた、ベルーフに取っては最初の研修生の一人です。長らくB型の施設に通所していました。一般企業での就労を目指して、クリニックネットワークのドクターからの紹介が受講のきっかけです。治療と生活パターンの影響で、眠気のため集中して何かに取組むのが困難という状態でした。語学能力に優れており、TOEICは900点台、イタリア語はスピーチコンテスト入賞、フランス語も堪能、ドイツ語は検定試験合格、中国語もこなせる、という驚異的なレベルです。しかしほとんど活かされず状態でした。8ヶ月ベルーフで仕事ができるための基礎づくりから始めています。「自らの能力を社会で発揮することは人間の責任である」とはドラッカーの教えですが、学さんの8ヶ月は、このことの実現のために煉瓦を積み上げる毎日でした。その結果有数のIT企業に就職しています。翻訳とPC管理が専門職としての業務です。2020年11月有期契約社員として5年間の実績と成っています。労働契約法による無期転換ルールにより、正社員契約ができる条件を手にしています。ベルーフではこのルールでの始めての例です。無くてはならない社員として評価を自ら築き上げた成果です。才能が成果を呼んだ訳ではなく、紆余曲折の道を進みながらこつこつ煉瓦を積み続けて到達したゴールです。皆さんも、ベルーフで煉瓦を積んでみませんか。播磨守